2011年6月19日日曜日

私がポラリティセラピーを仕事にしようと思った訳+α

今日は少し個人的なお話を……。

私がポラリティセラピーを勉強し始めたころから、父が肝臓を患い、手術をするために入退院を繰り返すようになりました。実家住まいではありませんので、頻繁に父のもとに行くことは難しいですが、私は定期的に父にセッションを行うようにしました。

一般的にある程度年齢を重ねると、親の身体を触ることに抵抗を感じますよね。特に男同士ならなおさら。私もそれまで父だけでなく両親や兄弟の身体に「触れる」ことを考えたこともしたこともありませんでした。それが抵抗なく自然にできたのはポラリティセラピーを勉強していたことがとても大きかったと思います。

父が亡くなる前の2週間、私は病室でセッションを続けました。医学の限界を目の辺りにし、治療の施しようがないと言われたなかで、私にできることは、側でセッションをすることしかありませんでした。

父が動きたそうにしていると、脚を動かし、リフレクソロジーをし、少しでも楽になるよう足や頭、背中、胸など知る限りのポラリティセラピーの手技をしました。身体がつらく、投薬によって弱っていくように見える父は話すこともままならない状態でしたが、身体に手を添えて「触れる」たびに、いつも嬉しそうな顔をして、私の手のなかで父の身体が緩んでいくのを感じていました。

残念ながら父は亡くなってしまいましたが、今思うと、父の身体に「触れる」ことで、父とコミュニケーションを取っていたのかもしれません。
「触れる」とそこには温かさがあり、拍動があります。
もっとよく見れば、足の指の形や筋肉の状態、骨格、皮膚の質感、そして、まるで魂がどうしたいのかわかるような感じさえします。とても不思議ですが、「触れる」ことで「今、ここ」にいる父のことがすべてわかるような感じがするのです。そして、「触れる」ことで非常に濃密な最後の時間を過ごすことができたと感じています。

最近は人が人に「触れる」ことが少なくなってきていると聞いています。驚いたことに医者が患者に触れないこともあるそうです。非常に悲しいと思います。私もポラリティセラピーに出合っていなければ、「触れる」ことの大切さに気づいてはいなかったと思います。私はポラリティセラピーを通して、「自分自身に向き合うこと」や「触れる」ことの大切さはもちろん、私の経験を通して私にしか伝えられないことをこれから出合う方々に伝えていきたいと思います。


話は変わって、今日は「父の日」です。

近くに肉親がいる方は、親の身体に「触れて」みてください。
肩を揉むでも、足を揉むでも何でも構いません。
少し気恥ずかしいかもしれませんが、一年に一回くらいいいじゃないですか。
遠くに肉親がいる方は、電話をしてみましょう。
それが難しいなら、自分が親の肩を揉んでいるイメージをしてもいいと思いますよ。
馬鹿げているように聞こえるかもしれませんが、やってみましょうよ。
何か新しい発見があるかもしれません。

私は本日、母へのセッションの為、帰省します〜。

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